Operation Table 

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企画展第8弾

Morgan O'Hara
Cosmopolitan Pencil どこでもエンピツ

2014.1.7 Tue.-1.26 Sun
11:00-18:00 土日のみオープン 平日は予約制


 

モーガン・オハラは鉛筆を手に世界を駆けまわるアーティスト。LIVE TRANSMISSIONと称するパフォー マンスによるドローイングでは、ヒトや生き物、流動する自然や社会現象を動くもの=エネルギーとし て捉え、手の動きを通して鉛筆の線に変換させるものです。かすかで柔らかな線や何本もの濃い鉛筆で描 かれた力強い線の束からあらゆるものの生命力が伝わってきます。今回はOperation Tableがもと動物病 院であったことをフォーカスして動物のドローイングを集めます。また滞在中にあちこち訪ねパフォーマン スも行います。

Morgan O’Hara is an artist who travels the world with pencils in hand. Her outstanding works called LIVE TRANSMISSION are performative drawings. Through drawing, she captures the energy of anything that moves: human beings, animals, natural phenomena, as well as a great variety of social activity, transmitting movement to pencil drawings through the action of both hands. Sometimes the lines are fine, airy and fluid and other times dense, dark and dynamic. Drawn with many pencils ranging from 2B to 20B, these drawings extend the potential of everything which is living. In this exhibition, she focuses on the fact that Operation Table was formerly a veterinary hospital, showing her LIVE TRANSMISSION drawings of animals and as well as new work she has created during her stay in Kitakyushu.

モーガン・オハラ+村田峰紀
ダブル・パフォーマンス&オープニング・レセプション

@Operation Table
2014.1.7 Tue. 18:00〜
参加費 1,000円
18:00- 参加者は懐中電灯をもってOperation Tableに集合、路地を散歩しながら近くにある秘密基地を 訪れます。これがモーガンのパフォーマンスの始まり。そして19:00までにOperation Tableに戻り、 次なる村田峰紀のパフォーマンスとなります。19:40からレセプションに入ります。モーガン・オハラと 村田峰紀はパフォーマンスの聖地、アイルランドのベルファストで縁のあったアーティスト同志、また村 田はOperation Tabel2012年の企画展「とらんしっとー世界通り抜け」にも参加したアーティスト。両人 とも作品の発表形態としてパフォーマンスとドローイングを重視しています。

モーガン・オハラ
ロサンジェルスに生まれ幼少時を日本で過ごす。カリフォルニア州立大学で美術を専修。
1975年 TIME STUDIESのシリーズに着手。
1978年 PORTRAITS FOR THE 21th CENTURYのシリーズを開始。
1989 年 パフォーマンスのドローイングによるLIVE TRANSMISSIONを始める。数々の国際的なパフォー マンス・フェスティバルで発表。
2003年 国際芸術センター青森アーティスト・イン・レジデンス・プログラムに参加。
2010年よりNYエリザベス財団に所属。


Morgan O'Hara was born in Los Angeles, grew up in Japan, earned a Master's Degree in Art from California State University at Los Angeles, had her first solo exhibition in the Mus?e Cantonal des Beaux Arts in Lausanne, Switzerland in 1978. She began working internationally in performance art festivals in 1989, did her first site specific wall drawings at De Fabriek in Eindhoven, The Netherlands, and began the practice of the Japanese martial art, aikido, in the same year.
Teaches master classes in drawing and the psychology of creativity in art academies in the US, Europe and Asia. O'Hara has done many international residencies including two sessions at the MacDowell Colony in New Hampshire.
She is recipient of grants from the Pollock-Krasner Foundation, the Gottleib Foundation, the Leon Levy Foundation, David and Rosamond Putnam Travel Fund and the Milton and Sally Avery Foundation. Her work is in the permanent collections of many institutions, including: Arkansas Art Center, Little Rock, Arkansas; Czech National Gallery, Prague; Hammer Museum, Los Angeles, California; Hood Museum of Art - Dartmouth College, New Hampshire; Janacek Museum, Brno, Czech Republic; Macau Art Museum, Macau, China; Moravian Gallery, Brno, Czech Republic; National Gallery of Art, Washington, D.C.; Olomouc Museum of Art, Czech Republic; Stedelijk Museum, Amsterdam; Vrie Universiteit OZW, Amsterdam, The Netherlands; Wannieck Gallery, Brno, Czech Republic; Weatherspoon Gallery, Greensboro, North Carolina. Her permanent site specific wall drawings can be found in the Macau Art Museum, Macau, China; The Canadian Academy Kobe, Japan, and the Free University OZW Building, Amsterdam, The Netherlands. Lived in Italy for 21 years. O'Hara became a member of the Elizabeth Foundation in 2010. Languages: fluent English, French, Italian; passable Japanese, German.

モーガン・オハラ
Live Transmission
黒岩恭介

 モーガン・オハラさんと最初に会ったのは、今(2014年3月)思い出してみると、確か、2003年の5月26日、青森市の「横丁」という蕎麦屋であった。もう10年以上以前のことである。集まった事情はもう忘れたが、彫刻家の青木野枝さんや写真家の山本糾さん、当時青森市の国際芸術センターの学芸員であった真武真喜子さん、それからアーティストの磯崎道佳さんと一緒だったと思う。なぜ記憶に残っているかといえば、オハラさんが父親の仕事の関係で、関西の西宮で子供時代を過ごし、当時お母さんが戦後まもない日本の風景を写真に撮っていて、そのネガがたくさん残っているという話が印象的だったのもさることながら、みんなで飲んでいる最中、突然大きな地震に見舞われたからであった。調べてみると、この日の18時24分に宮城県沖を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した。長い時間にわたって、強い横揺れが続いたことを覚えている。店内の照明器具は振り子のように揺れ、これは大きな地震だと、皆、物が倒れないように押さえながら、お互いの顔を不安そうに見合わせ、揺れがおさまるのを待っていた。こういった事情だから、オハラさんの最初の出会いは鮮明に記憶に残ったのである。  
また県庁そばのこの「横丁」という蕎麦屋はお昼時よく利用していたのだが、夕方からは飲み屋としても繁盛していた。蕎麦湯割りの蕎麦焼酎を飲みながら、銀鱈の煮付けや蕎麦サラダなどをよく食べていたが、オハラさんは特に蕎麦とレタスやキュウリ、トマトなどの野菜の組み合わせを面白がって、その後もよく話題にしたものだ。

 
その頃、オハラさんは青森駅前の海鮮市場に出向き、「ライブ・トランスミッション」と言われるドローイングを制作していた。日本語に訳すとすれば、「命の伝達」(i)とでも言えばいいのだろうか、命ある生き物の動きを伝えるドローイングである。オハラさんは人間であれ、その他の動物であれ、その生き物が何かをしている、つまり動いている状況を観察しながら、その場で(ライブで)、その動きの印象(つまり客観的な形態ではなく、オハラさんの精神内部で把握された動きそのもの)(ii)を鉛筆で、時には複数の鉛筆を両手で同時に駆使しながら、紙上に写しとるのである。それは動いている主体の形態描写ではなく、運動している主体の運動そのものの表現である。  
その結果である作品は、したがって、抽象的な線の動き、線の群れによって構成されることになる。オハラさんに教えてもらわなければ、その動きの主体が何なのか、あるいはその主体がどのような運動をしているのか、それらは、皆目見当がつかない、という表現の構造である。(iii)  
こういった運動表現を追求しているオハラさんの作品を見ると、(iv)自然と、私にはマイブリッジの連続写真のことが連想される。19世紀後半、エドワード・マイブリッジはギャロップする馬の連続写真の撮影に成功し、馬の4本の脚がすべて地面を離れる、すなわち馬が空中を飛んでいる瞬間があることを証明してみせたのである。このこと、つまりギャロップする馬の脚の運びがどうなっているのかが、賭けの対象になっていて、マイブリッジは証拠写真を、ある馬主から依頼されたのである。5年にわたる苦心と研究を経て、つまり、シャッター・スピードの高速化とか、フィルムの感度の向上とかであるが、それらを実現して、撮影装置を完成させた。その後、馬だけでなく、人間を含め多種多様な動物の動きの、人間の眼では捉えることのできない各瞬間がカメラに収められた。このことは当時の印象派の画家、特にエドガー・ドガに大きな影響を与えたし、以後、絵画における馬の走り方を一変させたのである。また、マルセル・デュシャンの『階段を降りる裸婦』などに影響を与え、少し大げさに言えば、運動するイメージに関して、世界理解を変更させたのであった。さらにエジソン(v)による映画の発明に大きな貢献を果たしてもいる。  
運動に対するマイブリッジのアプローチが科学的、客観的だとすれば、オハラさんのアプローチは芸術的、主観的である。(vi)マイブリッジのアプローチが運動の各瞬間を撮影するという分解・分析的方法だとすれば、オハラさんのアプローチは運動全体の印象を(vii)1枚の紙にドローイングするという総合・完結的なものである。  
ここで、オハラさんのドローイングについてもっと詳細に見ていこう。先に述べたとおり、オハラさんの作品はある運動主体を観察して得ることのできる運動そのものの軌跡である。しかし完成されたドローイングだけを見れば、運動の主体が何なのか、またどのように運動しているのか、客観的に理解することは不可能で、線描の意味内容は作品に内在するが表に出ていない。それはオハラさんがある対象の動きを観察して、それをライブで、紙の上にドローイングする過程が、アーティストとしてのオハラさん個人の特有な感受性に依拠しているからである。入力と出力のあいだに介在するオハラさんのアーティストとしての固有の感受性はブラックボックスなのである。  
オハラさんの作品は、確かに観察の結果、しかも対象の動きとオハラさんの手の動きが、いわばシンクロした結果、生まれるものだが、われわれ鑑賞者には、その対象も対象の動きも隠されたままなのである。だからといって、オハラさんの作品が作品として不完全とはいえない。オハラさんは、作品の背後にある具体的なものは捨象したかたちで、すなわち自律した作品として、ドローイングをわれわれに提示している。それは当然のことで、具体的な情報は作品の芸術としての価値には何ら関与しないからである。つまり、ある作品の具体的な情報として、馬が障害物をジャンプしているところとその後のギャロップを描写しているのだという具体的な事実を知ったところで、知識としては確かに参考にはなるが、そういった情報は作品の芸術的な価値を高めることにはならないのである。あくまでも作品は作品として完結しているのであって、作品の価値を左右するものは作品自体なのである。このことは、何もオハラさんの作品に対してだけ当てはまるものではなく、作品一般について言えることだ。しかしこれはあくまでも作品至上主義のモダニズムに則した考え方である。オハラさんの「ライブ・トランスミッション」を考えるとき、別の視点が必要ではないか、そんな気がしている。

 もう少し突っ込んで考えてみよう。繰り返しになるが、オハラさんのドローイングは線の運動と、線の群れによって構成されている。それは完全な抽象作品である。ポロックのポーリング(viii)を味わうように、われわれはオハラさんのドローイングを味わうことができる。そして作品の出来不出来もまた、1点1点の作品の構成に依存する。しかし、われわれ鑑賞者にとって躓きの石となるのは、オハラさんの抽象的なドローイングには、具体的な、例えば、馬とその動きが、眼には見えなくとも、内在しているという事実である。これはどのように考えればいいのだろうか。  
もし、オハラさんが「ライブ・トランスミッション」を行っているところを、つまりオハラさんが観察しながら描いている人間や動物の動きを、オハラさんの視点からヴィデオに撮影して、完成された作品とそのヴィデオを見比べることができれば、われわれはオハラさんの線の動きと、対象の動きとのあいだに、何らかの相関関係を読み取ることができるのだろうか。またそういった作業は、オハラさんの作品を理解する上で、必要なことなのだろうか。こういった問、疑問が自然と私には沸き上がってくる。しかし、次の瞬間、すぐさまそんな疑問を否定する私自身もまた存在する、ことは確かである。つまりこれは私の直観ではあるけれども、そのたぐいの相関関係は認められず、したがって、このような比較は無意味である、というような気がしてならないのだ。なぜなら、オハラさんのドローイングはあまりにも抽象度が高い、というのが一つ、また、どう考えても、ある動きに対して、それに対応する同一の描線が用いられているとは考えられないからである。だとすれば、オハラさんは、具体的な人間や動物の動きを口実として、(ix)独自のドローイングを制作していることになる。それは鑑賞者であるわれわれから作品を見ての話であるけれども。オハラさん自身にとっては、個々の作品は彼女の生活の記録であり、一種日記としての意味を持つものなのであろう。いつ、どこで誰と会い、その人物が何をしていたか、あるいはいつ、どこで、どのような動物の動きを観察し、それを紙の上に描写したか、もっと言えば、いつどこで樹々がそよぎ、水の波紋が広がるところを、彼女の手がそれらの動きに同調して「ライブ・トランスミッション」が演じられたのか、そういう彼女の日常とアートが一体となった、生活そのものの記録として、ドローイングが存在する。そのことを考えれば、彼女のアートはコンセプチュアルな側面が非常に強い、と言わざるを得ない。しかし、われわれ鑑賞者は、オハラさんがドローイングを見て生々しく感じるはずの、各作品の背後にある具体的な状況やイメージを、(x)共有するのはほとんど不可能なのである。しかしながらオハラさんは、あたかもフットノートのように、「ライブ・トランスミッション」が行われた日時、場所、運動主体に関わる情報を書き込むのが常である。  
例えば、河原温の作品に、『I Met』のシリーズがある。日付をスタンプしたルーズリーフの用紙に、その日に会った人々の名前をタイプする、という簡潔なスタイルの作品である。それは河原温が日常どのような人々と会っていたか、という情報のみを提供する。作品としては人名がタイプライターで打刻され羅列される、それだけのものである。いわゆるアーティスティックな側面をまったく持たないコンセプチュアル・アートである。(xi)  
それに対して、オハラさんの作品は、なにしろドローイングである、アーティスティックな側面が強くあらわれたものである。しかし各ドローイングの背後には、彼女の日常の記録としての生々しい状況が隠れてる。しかし河原温と違って、作品としてはドローイングである以上、日常の記録としてのコンセプチュアルな情報はフットノートしてあるのみである。さらに、カタログ上では、キャプション(解説)として、そういった情報を活字で提供しているにすぎない。作品の見せ方として、まだ完成されていないように、私には思われる。ドローイングの背後にある情報を含めて作品化することは、できないものだろうか。  
私としては、オハラさんが、作品のコンセプチュアルな面をもっと表に出したかたちで、すなわち、フットノートとしてではなく、本文に組み込むかたちで、作品化する何らかの工夫をした方が、作品理解と解釈にとって有意義だと思っている。オハラさん自身も「ライブ・トランスミッション」におけるフットノートの重要性は知悉しているはずである。ドローイングとコンセプチュアルな情報、それらを一体化させることが、今求められているのではないだろうか。(xii)  
もしそういった一貫した、統合されたやり方で、『ライブ・トランスミッション』が提示されれば、私の中では、モダニズムを超えた彼女の仕事の理解が明瞭になり、美術史の中に組み込むことがより容易になるのだけれども、いかがなものだろうか。

後記
 このエッセイを書き上げ、オハラさんにメールしたところ、私の勘違い、誤解について、オハラさんから指摘をいただいた。それに基づいて、エッセイを書き直してもよかったのだが、オハラさんの指摘が分かりやすく、むしろオハラさんの言葉をそのまま掲載した方が、オハラさんのコンセプトが明確に理解されるのではないかと思い、このようなスタイルを取った次第である。  
私の最大の勘違いは、「ライブ・トランスミッション」が対象の運動に即して、オハラさんの手が、無媒介的に、その運動と即物的にシンクロして実行される、というオハラさん自身の主張を知らなかったことから出来した。オハラさんのドローイングを見て、そこまで洞察することができなかったのは、たしかに私の不明である。しかし、オハラさんの「ライブ・トランスミッション」が、常にそういった誤解の危険性に晒されていることもまた事実であろう。その点を含めて私には、「ライブ・トランスミッション」のコンセプトを明瞭に示すかたちで、ドローイングとの統合を図ることが今後、重要になると思う。  
細かいことだが、映画の直接の発明者はエジソンではない。ここではエジソンがマイブリッジの連続写真に触発されて、キネトスコープを開発し、それが映画の発明につながったことを言いたかったのである。またポロックの「ポーリング」については、ポロックのカタログ・レゾネ編集者の提案に従って、「ドリッピング(滴らせる)」よりも「ポーリング(注ぐ)」の方が、ポロックの方法として実態に即しているから、こちらの用語を使った。一般的にはたしかに、「ドリッピング」の方が人口に膾炙している。

訂正コメント
モーガン・オハラ








































i)
「命の伝達」は訳語として正しくありません。「ナマの伝達」とすべきです。私はテレビのレポートからこの言葉を借用しました。事故現場からの「ライブ」レポートです。日本語の「生放送」は馴染みがあるでしょう。何かが「今」、「ライブ」で行われていて、いかなる解釈も編集もなされていないという意味です。

ii)
上記のコメントの結果として、私は出来る限り精密に現象を追跡しています。もちろん人間の眼と手でなされる以上、それは必ずしも科学的ではありません。しかし私は私が見るものを主観的に解釈してはいません。私はリアル・タイムで、私が見ている運動の軌跡を正確に追跡しているのです。

iii)
作品は自己表現でも、解釈でもありません。

iv)
もう一度言いますが、私は私自身を表現しているのでも、動きを解釈しているのでもありません。私は私が見ている運動を正確に追跡しているのです。

v)
映画を発明したのは、エジソンでしたか?彼は電気を発明していますが。

vi)
芸術的、主観的な意図は私の作品制作のなかにはありません。

vii)
私は運動の印象を捉えようとしているのではありません。私はリアル・タイムで、具体的な運動の正確な軌跡を追跡しているのです。
































viii)
アメリカではポロックの作品を記述するのに、最も頻繁に使われる言葉は「ドリッピング」で、「ポーリング」ではありません。



















ix)
それどころか、私の線と観察された運動の軌跡との間には、直接的で即自的な関係があります。私は機械ではありませんから、このやり方には失敗もありますが、私の意図は解釈でも表現でも、また主観的でもありません。各々の線と、私が見てフォローしているものとの間には絶対的な直接的関係があります。何も動かなければ、私には描くべきものがないのです。

x)
各ドローイング用紙の下部に書き込まれたテキストは作品のタイトルとそのドローイングについての時間=空間の基本的情報の組合せです。私はこれらの言葉をタイトルとみなしています。用紙には別なテキストが挿入されることもあり、それは具体的なコンセプトと情報を記述した言葉です。これらはフットノートではありません。ドローイングに不可欠なものです。

xi)
ご存知の通り、多くのコンセプチュアル・アーティストは、私の評価している河原温を含めて、アート・オブジェクトの非物質化、あるいは否定に関心を寄せていました。私の作品もまたコンセプチュアルだと感じていますが、私にはアート・オブジェクトを非物質化したり、否定したいという欲望は決してありません。私は美的なものを手がけようとはしません。むしろ、美的なものは、直接的なプロセスの結果だと受け止めています。ちょうど、ジョン・ケージが紙上のどこに石を配置するかを決めるために、偶然性を利用したのと同様です。私は20歳の美術学生だったとき、ケージに会いました。彼の考え方と作品に強烈な影響を受けました。

xii)
黒岩さん、ここに書かれているアイデアはとても面白いものだと思います。これは私の作品をもっと完全にする過程として、次に私がなすべきことではないかしら。今まで私はドローイングは橋の一方の端にあり、そしてコンセプトは橋のもう一方の端にあるものだと考えていました。鑑賞者がドローイングを見てそれに惹きつけられ、それから橋を渡ってコンセプトを理解するものだというのが、私の考えでした。あるいはその反対に、鑑賞者はまずコンセプトに惹きつけられ、それから橋を渡ってドローイングを見るものだと、考えていました。私たちは二人とも、次のことを知っています。大抵の人間は物事を額面通りに受け取り、私が作品制作にかけた努力と同等の苦労は決してしないし、あるいはあなたが深く議論するためになした努力と同じ苦労は決してしないものです。アーティストとしての私の役割は教訓的なものとは考えていません。しかしコンセプトをドローイングの目に見える部分にせよというあなたの挑戦は、私の好むところです。
ご覧のとおり、実際に訂正すべき誤解はただひとつだけです。テキスト全体を書き直すことはありません。あなたの理解、評価と私のために進んでこのテキストを書いてくれたことに対してお礼申し上げます。この件について同意してくれたことはとても嬉しいです。どうかあなたの決定稿をお送りください、そうすればニューヨークの友人で学者であるオオトモ ユウコさんに、英訳してもらいます。ドウモアリガトウゴザイマス!
モーガン