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Operation Table 企画展第2弾
  見えない都市 ― 地名の解剖学


2011年10月1日(土)―12月11日(日)
土 sat, 日 sun, 祝 holiday,:11:00 - 18:00   週日 weekdayは予約制 by appointment:090-7384-8169

住んでいる街の名前は、何の不思議もなく意識から遠ざかる。
ところが遠くからやって来た人々には、耳慣れない響きが聞こえてくる。
「見えない都市 − 地名の解剖学」では北九州市内の街で「折尾、荒生田、到津、 和布刈、修多羅」など、地域外の人から 見れば不可解な読みの地名をあげ、それぞれに対応するアーティスト を招き、地名に関連した作品を寄せていただくものである。アーティストの選抜と地名はほとんど 関連なく、また地名への解釈も、地誌的な観点、音声学的興味、地名の語源、街並み外観に注目するなど、 アプローチはアーティスト各人の意向に委ねる。 展覧会の概要からは見えてこない都市の表情を、来場者は各自の視点から作品との出会いのうちに読みとっていく。手術台 Operation Tableの上で街の名前がアートに変貌していくのだ。
展覧会名に冠した「見えない都市」はイタロ・カルヴィーノの小説のタイトルから拝借した。カルヴィーノはマルコ・ポーロの「東方見聞録」のパロディとしてこれを書いた。マルコ・ポーロが架空の都市についてフビライ・ハンに語るという設定の幻想小説である。中には「都市の名前」という章が繰り返しでてくる、とても異邦的な薫り高い文章である。 北九州はそれほど古くもなく異国情緒のある都市ではないけど、おもしろい地名だけ拾ってみると、架空の物語が紡げ、まったく見知らぬ都市に変貌しそうな気配もある。この展覧会は、手術台の上で北九州を架空の町に変身させようといういわば地名の整形手術ともいえる。それは見慣れた街を歩き、旅行者のような新鮮な眼で、意識に上ることがなかった魅力を探し出す試みでもある。

出品アーティスト/ 青木野枝、O JUN、木村真由美、坂井存、佐々木愛、鈴木淳、武内貴子、中西信洋、福地英臣、松蔭浩之

▶関連イヴェントはこちら  ▶西日本新聞展評:大久保京「解剖された土地への旅」→jpg


到津(いとうづ/小倉北区)、三郎丸(さぶろうまる/小倉北区)、東鉄町(ひがしてつまち/八幡東区)、春の町(はるのまち/八幡東区)、 荒生田(あろうだ/八幡東区)、折尾(おりお/八幡西区)、修多羅(すたら/若松区)、鞘ヶ谷(さやがたに/戸畑区)、隠蓑(かくれみの/小倉南区)、 めかり/和布刈(門司区)








到津 いとうづ佐々木愛

いまでは 「いとうづの森公園」という動物園のある場所として知られる到津は、日本史年表もないくらいの古くから 歴史に登場する地名。「到津八幡神社の社伝によれば、神功皇后が朝鮮出兵より帰還し、宇美で応神天皇を 出産された後、長門の豊浦宮に戻られる時、この地の津に到ったことから、到津(いとうづ)および板櫃 (いたびつ)の地名が生まれた」と伝えられる。(「北九州点描」http://homepage2.nifty.com/kitaqare/ index.htm)
神功皇后は巫女王であったとも、実在の人物ではなかったとも伝えられる豪傑女。神話や伝承物語に関心をもち、 記憶から呼び起こされる世界をインスタレーションやペインティングで表現する佐々木愛が、ほんとうに着 いたのかどうかもさだかでない舟の物語からインスピレーションを得たドローイングを寄せてくれた。

佐々木愛 ― 1976 年大阪府生まれ。2001年金沢美術工芸大学卒業。2002年彩都IMI大学院スクール現代美術専攻終了。記憶力と関わりの深い砂糖を素材としたインスタレーション 作品を積極的に制作発表している。旅先の風景を元に、古い文様や物語からイメージした作品は、限定された期間のみ展示され、やがては取り壊され、鑑賞者の記憶にのみ残される。近年、青森、 韓国、ニュージーランド等のアーティストインレジデンスに積極的に参加。2010年ポーラ美術振 興財団在外研修生としてオーストラリアに滞在。現在、大阪市在住。


声


another forest

作家コメント:到津。
皇后が帰路に舟を着けた津にちなんでそう呼ばれるようになったとか、川の名前がなまった事が 由来とも言われる。 本当はどうなのか、分からない。
今ではそんな事があった事も分からなくなった土地。名前。
用途をなくした文様の様に、名前もまた、装飾として今に残っているものかもしれない。
作品は、消える船をイメージして制作した。
この土地を訪ねた事のない私は、断片的な物語を読んで、昔ここに着いた船の事を思った。

三郎丸 さぶろうまる松蔭浩之

三郎丸は、 全国にいくつかある「○○丸」という地名が名主・土豪の名に基づくものと言われている以上に は、格別の逸話は伝わっていない。船の名前かサムライの幼名か、はたまた城の建物を指すこと もある。ここから小倉城に住む架空の三郎丸坊やのキャラクターを松蔭が創りだして、モデルをつかって演出、コスプレ写真に仕立てる。

松蔭浩之 ― 1965年北九州市生まれ。1988年大阪芸術大学写真学科卒業後、 アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」を平野治朗とともに結成。「ヴェネツィア・ビエンナーレ アペルト'90」(イタリア)に史上最年少作家として出展する。コンプレッソ・プラスティコ活動休止後は、 ソロで写真等の芸術活動を続ける他、CDジャ ケットデザイン・装丁アートディレクション・内装デザイン 等多岐にわたる分野で活躍。1997年、宇治野宗輝とエンタテインメント・アート・ユニット 「ゴージャラ ス」を結成。昭和40年生まれの現代美術家集団「昭和40年会」会長 。現在、東京在住。


BankARTの「食と現代美術」にて


映画「逃がし屋シリーズ スピンオフ 勝手に逃げろ」監督:西山洋市
東鉄町 ひがしてつまち青木野枝

東鉄町はかつて鉄道 が通っていた町としてこの呼び名がつけられた。しかし今は町名にはないが、現在の末広町−大蔵あたり は鉄町と呼ばれていたから、鉄町の東なのか、東にある鉄町なのか。いずれにしても、多くの人は鉄の街、 北九州ならではの町名と思うに違いない。そこで鉄という素材に魅惑されてやまない、鉄の彫刻家を代表 する青木野枝が東鉄町というタイトルの作品を制作する。

青木野枝 ― 1958年東京に生まれる。1997年武蔵野美術大学大学院造形研究科(彫刻コース)修了。日本、世界中で展覧会多数。青木は、鉄を素材として選んでいる。その作品の多くが、高さが2メートルを越す大 型のものでありながら、彫刻とともに周囲の空間と光が自由に揺れ動くかのようで、重力を感じさせない。大きな鉄板から細い線を切り出すように溶断し、それらを溶接して作られた形には、柔らかさやあたたかさがあふれている。2010年「街じゅうアートin北九州」に参加。現在、東京在住。


「空の水」入善町下山芸術の森発電所 2004


「蒸気管」門司赤煉瓦プレイス 2010

作家コメント:八幡の夜、町を歩くとなんだか鉄の匂いがする。 その匂いにつられてクンクン歩いていると、ここは生まれる前から知ってた場所に思えてくる。

荒生田 あろうだ武内貴子

町名としては残って ないが荒生田神社という古いお宮がある。天平時代に藤原氏と官軍が戦った場所で、敗れた藤原の怨霊を 鎮めるために荒武党明神が祀られた。その荒武党がなまって荒生田になったという。荒武者みたいなあろ うだという響きが面白い。場所としては(もと鉄ビルと呼ばれたスピナがあるくらいで)静かな住宅街で ある。今は片鱗も残らぬ地名の由来にもとづいて「荒れ狂う景色、あるいは鎮まる霊の住処」としてのあ らたな宮を、神社の紙垂のような作品で知られる武内貴子が祀ることになった。

武内貴子 ― 1979年福岡県生まれ。2004年に福岡教育大学大学院美術科を 修了。在学中から研究室の学生グループ展で度々発表していたが、2003年津屋崎千軒藍の家という有形文 化財の古い染物屋建築で個展を開いて以後、窯場、教会、旧銀行などサイトスペシフィックなインスタレー ションを経験するようになる。作品は?引きした布を紐状に裂いて結び、その細い帯を幾重も籠を編むよう にめぐらした場を形成するものである。大きなインスタレーションでは鑑賞者が中に入れることもある。 現在、福岡在住。


シロヲムスブ 2005


GAZE AWAY 2006

作家コメント:鏡を使ったインスタレーション。 鏡に関して、諸説あるが、ひとつに鏡は神とされている。 鏡のように澄みきった様を称える言葉に「真澄の鏡」という言葉があるように、 鏡は太陽のように光輝く存在で、その光を受け輝き、磨き込まれた一点の曇りもない鏡。 まさに神とはこのような方であると考えられた。神は姿をもたない。 その鏡に映るものもまた神であると。 人は、己の姿をみるにはその鏡でしかみることができないが、 その鏡に真実をみるのであろう。荒れ狂う景色も魂も。 今は、閑静な荒生田。 今回の作品は、かつて荒生田と今との結びつきを覗き込めるようなものである。

春の町 はるのまちO JUN

「春の町」は源氏物 語では光源氏と紫の上の住居の名であるという。その荘園「六条院」には「秋の町」もあった。八幡には 「夏の町」も「秋の町」もなく、イントネーションも違うので、季節の意味はないようだ。町の外観はな んの変哲もない町。町の名前のかわいらしさとのギャップが面白い。オモシロさとミステリアスな謎めき が作品の特徴であるO JUNが、春の町の印象を「未だ見ぬ町、いつか歩く町、ついに辿り着かぬ町」としてイメージし、未発表の写真作品と、架空の町の名をもつ本を捧げることになった。

O JUN ― 1956年東京生まれ。1982年東京芸術大学大学院美術研究科油 画専攻修士修了。OJUNの作品は鉛筆、クレヨン、グアッシュで描かれたり、あるいはリトグラフとして 制作された平面が主なものである。具象的なモティーフがもとになりながらも、それらは無機的な線や単 色による平坦な面が用いられて、かなり抽象度が高いものになっている。「わかりにくいもの、見えない もの、実体の手前にある予感、気配」を描こうとしているのだ。現在、東京在住。
(倉林靖 http://www.japandesign.ne.jp/GALLERY/NOW/ojun/ より抜粋引用)


フラフープ    カケルコ 2005


自画像 2005    童子日光図 2002


折尾 おりお福地英臣

折尾は北九州の西端、 筑豊と北九州のつなぎ目の町で、遠賀川支流の運河、堀川が町の中心を流れている。堀川は石炭運搬船が 通行したところで、折尾駅よこの川畔にはいまもその面影が偲ばれるたたずまいがある。一方で折尾には 高校大学が集まり、学園都市の表情ももち、折尾駅は通学の学生たちで賑わっている。オタク文化に関わ り、アニメーションや少女漫画に近い作品を発表する福地の視線はどんな折尾を捉えるのだろう。

福地英臣 ― 1973年佐賀県生まれ。1996年福岡教育大学芸術文化学科課程卒業。 2002年現代美術センターCCAリサーチプログラム修了。アニメーション風アクリル絵画を制作発表し、自らオ タク作家を名乗る。CGの発展で緻密なセル画技術が衰退したことを嘆き、西洋画の普及により衰退した浮世絵 技術に譬える。一方でアーティストのトークイベントを企画する「シンマルマル美術館」を立ち上げた。既存の 美術史の枠組みから離れて、作家も見るものも個人的な美術史観をもち、議論の俎上にのせるといった批評的な 活動も行っている。現在、北九州市在住。


Rebirth GION Hachimanyu 2011


がんばれ桃園ビーチーズ!! No.6


がんばれ桃園ビーチーズ!! No.8

作家コメント:「メシを食うため働くアーテスト外伝『さよなら銀河駅舎0ri0〜長崎本線途中 下車〜』」

美術作品が、人類が生産できる、最も、文化的、資本的な価値を内包するメディアであるにも関わらず、(経済的にも労力的にも)報われる事が乏しいその生産者(美術家)。 しかし、上記のアートワールドのみならず、文芸など高級文化はもちろんゲームや漫画などのサブカルチャーなど、幅広く文化的な生産に携わる職種は、そのような現状に類似します。 日本国内の文化的なビジュアルを提示する旬のメディアであるアニメも、もちろん例外なくそれが顕著に現れる環境であることは間違いありません。 この「メシを食うため働くアーテスト外伝」では、もちろん、私はアニメーション作家ではないのだが、アニメーションの現場や表現をモデルにシュミレートすることによって、文化と資本との諸問題や関係性を問う作品としています。 そのため、作品自体が完成する事は無く、私の生活が満たされる事はありません(お金が入ってこない)。ってな、コンセプトというか設定で、一連の「メシを食うため働くアーテスト」シリーズは制作しています。 また、作品のビジュアルは、前回も前々回も、ずーーと、そうなんですけど、著名なサブカルのビジュアル(主に漫画やアニメ)からの引用で、それが、非常に解りやすくサンプリングしています。 で、今回は、「折尾」ってなテーマを頂いていたんで、「折尾」を代表する名物、折尾駅にスポットを当てました、ちょっとありきたりですが…。 で、その折尾駅なんですが、どうも、近々、都市開発のため取り壊されるみたいなんですよね。 しかし、折尾駅は、国内の駅マニアランク第3位の価値があるみたいなんで、ほんと、資本を動かす人は文化ってのを知らないな(実は駅マニア的なことや建築なんかいまいち理解していないんですが)ー、と、思い。 0ri0駅を守護する、地元の女子高校生の「オリオチャン」を描きました。

修多羅 すたら坂井存

難破した遣唐使の船 から若松の浜辺に打ち上げられた残骸には多くのお経の版木が含まれていた。それらは供養のために高塔 山に埋葬され、以来その村は仏教の経典(スートラ)を意味する修多羅と呼ばれるようになった。音が似 ているので連想されるのがクレージー・キャッツの歌「スーダラ節」である。実はこの語源もスートラで、 寺の住職の息子だった植木等の口癖から生まれた歌という。オヤジ世代のふしだらさを揶揄するこの言葉 も語源は仏教。大まじめにオヤジ世代の哀歌を唱える坂井がこのスートラをテーマに制作する。

坂井存 ― 1948年、久留米市生まれ。1996年よりタイヤのチューブを使っ たインスタレーション作品の制作を開始。団塊の世代としてのメンタリティ、学生運動に 明け暮れた学生 時代に作られた政治意識、家庭や仕事といった誰でもが多かれ少なかれ考えざるをえない日常的な問題と の格闘等をテーマに制作を続けている。 2000年より、自らのチューブ作品を背負って国内外の様々な場 所を訪れる「パフォーマンス」を開始。これまでに福岡、東京、広島、沖縄、韓国等でパフォーマンスを 行う。2007年にはじめてヨーロッパに出かけ、世界の巨大美術祭の代表、ベニス・ビエンナーレとドク メンタにてゲリラ・パフォーマンスを 敢行。2010年「街じゅうアートin北九州2010」に参加。現在、広島市現代美術館「ゲンビどこでも企画公募展2011」に『放射性重い荷物』を出品中(〜10.10)、ヴァルトアートスタジオ(福岡市)にてZon Sakai「放射性重い荷物」展開催(2011.10.5-10.22)。久留米市在住。

作家コメント;絶滅危惧種「修多羅大護謨虫」
学名「しゅたらゴムおおむし」
生きている化石、奇跡の巨大昆虫





中年の危機的状況 1999


放射性重い荷物 2011
鞘ヶ谷 さやがたに中西信洋

鞘ヶ谷の地名の由来 は、刀の鞘のような形に谷間が延びているからという。高校時代まで戸畑に住み、しばしば北九州市立美 術館のある丘を歩いて通った中西は、美術館から眺める鞘ヶ谷の地形、道路脇にそびえる坂の風景、谷間 に堆積するように創られた町の風景を、変わった場所と感じていた。光と影、見えるものと見えないもの の関係を等高線のようなストライプで描く中西のドローイングによって、この地形の記憶がふたたび捉え なおされる。

中西信洋 ― 1976年福岡県生まれ。2002年京都市立芸術大学大学院美術 研究科彫刻専攻修了。ドローイングや写真、彫刻、インスタレーションなど幅広い分野で制作、ものを知 覚するという根本的な問題について様々な手法でアプローチする。空間の虚と実が入れ替わるような構造 を探求する。現在、大阪府高槻市在住。

作家コメント:私の祖父母は戸畑に住んでいて、子供のころから、幾度となく鞘ヶ谷の近辺を通ることがありました。 谷という山と山との間にできた割れ目は、山と平地とをつなぐ境目であり、平地と山の向こうとをつなぐ出入り口の様な役割を果たしています。 昔の平地に住むひと、山のひとはこの切り立った門のような谷を通じて物や言葉を運び、山の向こうにある景色や人々に想像を膨らませていたでしょう。 今は道路になって簡単に行き来ができるようになりましたが、子供の頃から両側にそびえる斜面は、地形的な対比によってこちらからは見えない向こう側の景色を想像させます。


Garden of Blank 2003


Stripe Drawing


新青森駅モニュメント 2011
和布刈 めかり鈴木淳

めかりは「ワカメを 刈る」の意で、今でも和布刈神社では、旧暦元旦に海岸でワカメを採り神前に供える和布刈神事が行われ ている。町をリサーチしては、歴史の故事から珍品発見、あやしげな光景を捉えるウォッチングで、高校 時代までを門司に暮らしていた鈴木が今回見つけるものはワカメなのか、なんなのか?

鈴木淳 ― 1962年福岡県北九州市生まれ。熊本大学理学部生物学科卒。 1995年から現代美術作家としての活動を開始。福岡県立美術館、北九州市立美術館、ギャラ リーSOAP、 art space tetraなどで個展を数多く開催するほか、「取手アートプロジェクト2004」にて滞在制作する など、精力的に活動の場を広げる。2000年12月から 制作し続け600に達した映像作品「だけなんなん/ so what?」は、断片的な日常の風景を切り取った短編のシリーズ。韓国,,シドニー、NYなどでも上映。 現在、北九州市在住。

作家コメント:
海の中の彼女の肢体。
長くのびた腕と脚。
水着の隙間からみえた白い肌。
黒い髪が漂う。
しかし、僕は彼女の顔を思い出せない。


いないいない、ばああ 2010


それでも世界はまわっている 2011


大阪八景 2007
隠蓑 かくれみの木村真由美

隠蓑は小倉南区にあ る町の名であるが、平家の落ち武者が住んでいたという古い歴史のある町。源氏と平家の合戦が、北九州 市と山口県 を挟んだ関門海峡を舞台に拡げられた史実はよく知られているが、源氏に追われ た平家が幼 い安徳天皇を、海峡で入水と偽り実は小倉で匿ってい たという話も 伝わっている。そのとき藁の中に隠 して追っ手の目をそむけることができたという逸話からついた地名のようだ。そうした史実は無視して、 カクレミノのコンセプトのもとにシミュレーションを行うのが木村真由美である。

木村真由美 ― 京都生まれ。同志社大学卒。Goldsmiths Collage(London) 、Persons School of Design(NY)に在籍後、New York UniversityにてMA(修士)取得。2002年1 月、Artists Space(NY)にて初個展。以後、ニューヨーク、イギリス、オランダ、中国などで各種グルー プ展、ヴィデオフェスティバル、スクリーニング等参加。シミュレーションという「錯覚の魔法」を通し、 写真や映像によって理想と現実、メディアとの関わりについて探求する。現在、京都市在住。

 
ID12: ロイヤルコピー       ID14: 半魚姫
共に ID:Interchangeable Disturbances (2001)より


Some Scripts for Tomorrow (2007)より


Blue Bird Street (2008)より (Tweelingen straat=双子ストリー ト)

作家コメント:2年ほど繭の中に ひっそりと隠れておりましたが、イタロ・カルヴィーノの「見えない都市」は、とてもインスパイアされる読み物 で、ひさびさに活動する気になりました。 過去(10年前)の変身写真作品をふりかえり、”かくれみの”という切り口から 語ること、また、2年前にベルギーのレジデンスで制作した作品 (アントワープの通りの名前をテーマに、架空の物語を紡いだビデオ)を再考す るような形で出展作品を制作しました。 割当の小倉南区の隠蓑だけにとどまらず、小倉東区 の水面(ミナモ)という地名を発見し、急遽、追加 で担当さ せて いただきました。こちらは、ナゾのアーティスト、水川夏湖(ミズカワカコ)さんに映像の編集をお願いし ました。彼女の 水水しい 映像世界をお楽しみいただけたら幸いです。

私にとっては、隠蓑も、水面も、未知の土地です。特に水面については、水圏と気圏のボーダーにあるような、とても不思 議な美しい地域だと聞きました。 そんな不思議な水面地区をぜひ訪れてみたく、OPTからバスツアーも計画中です。(詳細は未定)




関連イヴェント OPE NOW vol.4  
12月04日(日)15:00ー
ギャラリー・トーク:O JUN (美術家/東京在住) 終了しました。

 開催中の「見えない都市 − 地名の解剖学」展で「春の町」を担当していただい ているOJUNさんの来場が急遽決定しました。この機会にギャラリー・トークをおねがいしました。
会期はあと1週間となりました。まだおいででない方、すでにご覧になった方も、もういちど出品アーティストのいるOperation Tableをお訪ねください。

関連イヴェント OPE NOW vol.3  終了しました。
11月27日(日)18:00ー
開催中の「見えない都市−地名の解剖学」出品アーティストの一人、松蔭さん が、「創を考える会・北九州」主催のWSのため北九州へおいでになりま す。 またもうひとり木村真由美さんも京都から初めて北九州を訪れます。この機会に OPE NOW vol.3として出品アーティスト数名によるスピーチ・パーティを開催し ます。
来場予定アーティスト;
木村真由美、坂井存、鈴木淳、武内貴子、福地英臣、松蔭浩之 参加費;1,000円(ワンドリンク+立食)〜
みなさま,どうぞお誘い合わせておいでください。

 OPE NOW vol.2:青木野枝「八幡と鉄とわたし」 日時:10月23日(日) 18:00〜 は終了しました。
「鉄と八幡とわたし」
青木野枝さん、鉄との出会い、ずっと鉄彫刻をつくってきて思っていること、鉄の町、八幡を初めて訪 れたこと、鉄の町の匂いを感じること、鉄という 素材が青木さんにとってどんなに特別なモノでかつ親し んでいるモノか等、お話いただきました。鉄は熱すると色が変わってきて、赤から最後には白い 半透明、 まるで卵の中身みたいな、ゼリーみたいな、、、それで「寒天」というシリーズが生まれたんですって!! 硬くて黒くて冷たい鉄のイメージは青木さんの 手にかかるとお菓子のようです。
これからも大きな作品に向かう機会がたくさん準備されている青木さんの活躍が楽しみです。