水谷一+三津木晶
林檎と蜜柑の数え方
水谷一は本展企画者・真武が国際芸術センター青森の学芸員であった頃、2004年のレジデンスプログラムに参加した機会以来、ずっとその制作発表を追ってきている美術家である。最近では磨き上がるほどに本人が掃除した空っぽの展示室を見せたり、博物館の常設に密やかに白い林檎のオブジェを置いて回ったり、という、ほとんど手の加わらない作品を発表してきた。一方、三津木晶は、対象をキャンバスに油彩で描写し、それを削りに削って平坦な画面づくりをし、ミニマルなペインティングに仕上げたものを作品としている。本展はこの2名のアーティストによる「ないこと・ないもの・ないところ」を見せる〈試み〉である。
会期:2023.6.23 FRI.ー8.27 SUN.
金土日 11:00-18:00 月~木は(7/17・祝も)前日までに予約
TEL;090-7384-8169 email; info@operation-table.com
朝日新聞文化財団助成事業
展覧会関連イベント
2023.6.23 FRI. 16:00~ オープニング・トーク 水谷一+三津木晶
2023.6.24 SAT. 14:00~ クロス・トーク「林檎と蜜柑の数え方」水谷一 ✕ 三津木晶 ✕ マタケマキコ
参加料 1,000yen (ドリンク付) 終了後レセプションあります(+500yen ドリンク追加は別)
2023.6.25 SUN. 12:00 ゲスト・パフォーマンス 飯島剛哉「でんぐり返りの数え方 」
参加料 1,000yen (tea/wine+sweets/snack)
2023.7.23 SUN. 13:00 三津木晶ワークショップ「林檎と蜜柑の描き方」
参加料 500yen
水谷 一(みずたに はじめ)1976年、三重県生まれ。2003年、多摩美術大学大学院美術研究科修了。美術家として国内外の様々な地域に赴き、風土や社会の認知に与える影響について研究を続けている。近年開催・参加した展覧会に『せとうちの大気 美術の視点』香川県立ミュージアム(2022)、 個展『決定的な見落とし』愛知県立芸術大学芸術資料館(2021)、『国讃めと屍』瀬戸内海歴史民俗資料館(2021・香川)等。埼玉県所沢市におけるアーティストと批評家の協働企画『引込線(所沢ビエンナーレ)』に2008年のプレ企画より参加し、2011~2019年は実行委員としても携わっている。また、2021年の『イタリアの三日月』Azumatei Project(横浜)ほか展覧会企画も行う。2019年、文化庁新進芸術家海外研修制度によりドイツ・ベルリンに一年間滞在。
(上段左から)
国際芸術センター青森/青森 2004
Gallery MOMO/東京 2010
Künstlerhaus Bethanien/Berlin 2019
(中段左から)
富士の山ビエンナーレ/静岡 2020
決定的な見落とし/愛知県立芸術大学芸術資料館 2021
国讃めと屍/瀬戸内海歴史民俗資料館・香川
三津木 晶(みつぎ あき)1987年、福岡県生まれ。2009年、福岡教育大学初等教育美術専修卒業。「制作し続けること」を自身のアイデンティティとし、テーブルクロスやソファ、食器など、身近な日常的風景をモチーフとした絵画表現を軸として、光・記憶・存在について思考する。2017年からは「他者との関係により現象する存在」に関する考察から、絵画の他に彫刻やレリーフなどの表現手法を用いた《ツイン》の作品を制作。近年開催・参加した展覧会に『三津木晶・川本悟 作品展』画廊喫茶こもれび(2022・北九州)、『NEW ORDER』 GALLERY SOAP(2021・北九州 )、個展『THE GATE』GALLERY SOAP(2021・北九州)等がある。また、2018年にはインドネシア・ジョグジャカルタにおけるアーティスト・イン・レジデンス『ルマ・キジャン・ミヅマ』に参加している。
(上段左から)
A.I.R.ルマ・キジャン・ミヅマ滞在制作/ジョグジャカルタ・インドネシア 2018
Kyushu New Art 2020/福岡
三津木晶+川本悟作品展・空の穴/画廊喫茶こもれび・北九州 2020
(中段左から)
"Shaping House" NEW ORDER/Gallery SOAP北九州 2021
THE GATE/Gallery SOAP北九州 2021
THE GATE/Gallery SOAP北九州
(下段)THE GATE/Gallery SOAP北九州
会場写真
キャプション
1 第1会場 エントランス室
2 第1会場 エントランス室 三津木の皿とくろがね羊羹の影が見える「一つ(. )」
3 第1会場 エントランス室 三津木 3つに割れた皿が描かれた「三つ(. )」
4~17 第2会場 メインギャラリー
4~9 13~17 2台の展示ケースと3つの手術台の上に並べられた11の器、そして窓際の冊子は水谷一の「食事と器」 以下は出品リストに付した水谷のコメント「展示されているのは水谷が日常で使っている食器の内、特に最近使用頻度の高い11点と、水谷の日常の食事が撮影された複数点の冊子(各32頁/B5サイズ)である。本展会期中、本展に展示されている器は水谷の食事には登場しないが、冊子/食事は作り続けられ、展示冊子は少しずつ増えていく。」
10 三津木「一つ(. )」
11~12 三津木「三つ(. )」3点
18~25 第3会場 来客用寝室
20~21 三津木の真二つに割れた湯呑を描いた「一つ(二つ)」のキャンバス4枚は壁面には掛けられてなく、最初、部屋の入口に重ねて置かれていたが、ベッドの上に2列に並べ替えられた。
22 小テーブル脇の床面に三津木の「三つ(. )」4点が立てかけられている。
23 水谷「蜜柑」「本作では日本国旗の赤丸部分が蜜柑のオレンジ色で置き換えられている。オレンジ色の丸の寸法を温州みかんMサイズの直径60ミリとし、その寸法を基準として、日本国旗として規定されている比率で画面サイズが決定された。つまり縦:100ミリ、横:150ミリの画面中央に60ミリのオレンジ色の丸・蜜柑が描かれている。尚、本作は本展企画者・真武氏に促され、小説家・芥川龍之介(明治25年~昭和2年)の短編小説『蜜柑』(大正8年)を題材とした平面作品公募『芥川龍之介「蜜柑」を描く展』に向けて制作された。結果はデジタル写真による一次審査で落選。大賞の賞金は200万円であった。」(水谷の出品リストに寄せられたコメント)
24 三津木「蜜柑」「小説『蜜柑』(芥川龍之介著)を読み、描いた物語の一場面。影は太陽の方向を表す」(三津木コメント)
25 水谷「林檎」「本作を構成する「林檎」は、石膏によって実物の林檎から象られた複数のコピーであり、オリジナルは一つである。オリジナルはすでに存在しない。本展における「林檎」の設置場所はOperation Table内の「複数箇所」であり、それらがいくつ、どこにあるかは明らかにされない。」(水谷コメント)
26 初日6月23日に行われた「オープニング・トーク 水谷一+三津木晶」
27 翌24日の土曜日に行われた「クロス・トーク林檎と蜜柑の数え方 水谷一 ✕ 三津木晶 ✕ マタケマキコ」
28 3日目、25日の日曜日に行われた「ゲスト・パフォーマンス 飯島剛哉;でんぐり返りの数え方 」
三者がメッセンジャーでのやり取りを通じて本展に向かいそれが実現したことについて
水谷一
ある時ある場所に存在するある存在Aはその時そこに存在するに至るまでの経緯を伴ったその時のそこでしかない状態と言えるが、そこでその時Aと場を共有する様々な存在それぞれもまた経緯を伴ったその時のそこでしかない状態であり、場を共にする互いは影響を与え合い、また影響を受け合ってそこが世界のどの場所とも地続き、且つその時という瞬間が将来へと繋がっている限りにおいてA及びそれぞれはいつだって固定されたある状態に留まることない変化の途上であり、風が吹けば桶屋が儲かる類の現象はそこかしこに溢れていることを前提としつつある特定の展覧会が実現へと至るプロセスの特異性を語ろうという際、一般的な実現プロセスとの比較を検討する以前にまず展覧会の実現とは何か、そしてそのプロセスの開始点について考えなくてはならないような気もするが一先ず今回のOperation Tableにおける展覧会『林檎と蜜柑の数え方』実現に至るプロセスの開始点を企画者である真武真喜子さんからお声がけをいただいた2022年8月23日(火)と考えるとして、今回の展覧会の実現そのものもまた私にはその時、つまり2022年8月23日に始まったように感じられるのはおそらくプロセス初期に本展に向けて芥川小説を題材にした絵画公募への応募を真武さんよりご提案いただいたことを皮切りとした互いの表現による対話が関係者間によって保たれたからであり、互いの表現が互いの思考の広がりと表現への活力を準備したその先でやり取りのない空白の期間さえ互いの表現として豊かに感じられる状況が実現し、展覧会の実現という目的を想定したプロセスながらもプロセスの常々が表現の現場、そして実現であることが殊更に意識され実現した本展がいかなる目的にも付き従うことなくあらゆる表現が数多の表現との出会いとして実現し実現し続けるありふれた奇跡を示唆するものとなったかどうかは知る由もないがともあれ、こうして当たり前に展覧会を実現できたことが嬉しい。
「ない」を表現する。
三津木 晶
「林檎と蜜柑の数え方」の展覧会のために、私たちの対話は2022年の年の暮れから始まった。その頃は展覧会のタイトルはまだ決まってなく、展覧会のテーマ、マタケマキコさんと水谷一さんと三津木晶という人物、operation table の会場、その5つの「ある」から始まった。その内、私は水谷一という人物をメッセンジャーの対話でしかその人物像を創造することができず、どんな作家と一緒に展覧会をしていくのかと言葉のやりとりを軸にしながら、期待と不安をもっていた。「ない」という事は「ある」という事からカタチづくるしかないのかしら。
やっと2023年2月に3人で対面ができた。マタケさんと水谷さんと食事をしたり日帰り旅をしたりして、私はやっと実感をもって展覧会の想像をするようになった。そして私たちは今回の展覧会に展示する作品についての言葉の交換はしたが、具体的な進捗を画像などで伝え合いはしないでおくことにした。
搬入当日、水谷さんは会場の隅々を磨きに磨き、空間をつくり上げていった。そんな水谷さんをじっくり観察もしたかったが、私も空間を磨くことにした。色々なことを考える間もなく、そこにあった痕跡を剥ぎ取っていったり、拭きあげたりすることに、私が絵を描く行為と重なるものがあった。なくす事と表す事の同時性を感じた。
因みに私の作品は、割れた器がモチーフの絵画、それから3人の会話の中で話題に出た黒
金羊羹を描いた絵画だ。状態と場所の変化によって、その物の数え方の変化を表現しようと試みたものだ。最後に制作した黒金羊羹の絵はそこに時間の関係も加わることに気付かされた。
展覧会が始まって、「ない」に気付くことが何度かあった。その中の一つには、私が会場にいない時に友人が来場したことがあった。私自身は「ない」の当事者になった。友人とは久々だったので、いつもの私なら急いで会いにいくところであるが、展覧会期間中は「ない」の当事者になることを、何だか愉快な気持ちになって過ごすことができた。
展覧会はあと3日間、私にとってはまだ明確ではない、「ない」を表現することについての考えはこのようになった。
「ない」こと(もの、ところ)をカタチにすることは「ある」こと(もの、ところ)と対話をし続けること。
また、「 ある」こと(もの、ところ)をカタチにすることは「ない」こと(もの、ところ)と対話をし続けること。
いつか「ある」と「ない」が意気投合して、同時に同じ言葉を放つような表現ができたらと思っている。
最後に
マタケさん、水谷さん、展覧会場でお会いできた方、お会いできなかった方、ありがとうございました。
水谷一+三津木晶 林檎と蜜柑の数え方
真武真喜子
この展覧会を訪れた人は、まず展示室の空間の変容に驚く。通常は空間や壁面を満たすインスタレーションや平面作品に視線が届き、空間全体を眺め渡すことは最終的な認識になるか、あるいは省略されることも多いのである。ところが展示作品やモノが少ないうえに部屋全体が隅々まで磨き上げられているこの会場は、いつものOperation Tableの空間とは見違えるものになっていた。
その後、観客はさらに謎に包まれていく。なぜこの2名か、タイトルの意味は何か、そして展示されている作品がこの展覧会を構成している訳も明らかではなく、極めつけは、出品リストにある水谷一の「c.林檎・・・・本展における「林檎」の設置場所はOperation Table内の「複数箇所」であり、それらがいくつ、どこにあるかは明らかにされない。」を読み、見えない林檎探しを解決せずには会場を後にできないのだった。
DMにも記したが、今展の主旨は「ないこと・ないもの・ないところを見せる試み」である。
水谷一については、「本人が掃除した空っぽの展示室を見せた」愛知芸大での個展「決定的な見落とし」(2021) が引金となった。水谷は他の展覧会に際したエッセイでも「空っぽ/空間」についてたびたび考察していたこともある(註1)。
三津木晶は対象を描写することに始まり、最終的に対象が明白ではなくなる段階の絵画作品に至るまでの工程を重視してきた。まずはモノの実体よりも影の表現を先行させて対象を捉えること、そして塗り重ねた絵具を削り尽くす作業を経て、絵画表面がこの上なく平滑になることの2点がその主たるところである。さらに連作として制作することが多い絵画作品は、2点組になっており、三津木には対象を表と裏の両面から捉える習性があった。鯵のヒラキのように表と裏がほぼ左右対称に並んでいるとどちらが表か裏かは明らかでなくなる。
水谷の「決定的な見落とし」では、展示室の一部に回廊状の細長い空間があったが、水谷はそこに、使用しないが保管場所が他になかったという理由で箱型パネル可動壁を対の列として並べていた(註2)。この展示を見たときに、「ないこと・ないもの・ないところ」という共通項で2名のアーティストを引き合わせてみたいという意図が決定的にまとまった。このときから展覧会に向けて、未知の2名を含む3者のメッセンジャー対話が始まったのである。
註1 水谷一作品『透明な光』(富士の山ビエンナーレ2020/旧五十嵐歯科医院 二階 )に添えられたテキスト参照。
註2 水谷一の参考作品図版のうち中段右「決定的な見落とし/愛知県立芸術大学芸術資料館 2021」
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三津木 晶 インタビュー
聞き手/アートライター藤田千彩、2024年5月対面および6月オンラインにて
藤田
三津木さん、みなさん、こんにちは。
普段Operation Tableでは、展覧会の後に展評を掲載します。今回、私藤田のリクエストで、展覧会についての私の意見や見方を論じるのではなく、三津木さんのインタビューを通じて、Operation Tableの展覧会「水谷一+三津木晶 林檎と蜜柑の数え方」のつくられ方を書き残したいと思います。
早速ですが、まず、三津木さんとOperation Tableや真武さんとの出会いについて、教えてください。
三津木
真武さんと出会ったのは、2020年の冬、コロナが始まった後です。それまで私は、真武さんと面識がありませんでした。
藤田
どういう出会いだったのですか?
三津木
2021年7月に、Gallery Soapで展覧会をしました。そのときオーナーの宮川さんが、真武さんにテキストを書いてもらうと言って、一緒にOperation Tableへ行き、3人でお話をさせていただきました。それからすぐ、真武さんが私のアトリエに来て、作品を見て、テキストを書いてくださったんです(リンク= https://g-soap.jp/2018_artists/aki.html )。私の作品を紹介したり、解釈するとき、真武さんの言葉に置き換えたら、私とは全く違う言葉づかいや考え方だったので、びっくりしたんです。
藤田
そのときのGallery Soapは、どういう作品だったのですか?
三津木
ちょうどインドネシアのアーティスト・イン・レジデンスに行って、「門」の作品をつくりました。
門の作品
私が住んでたインドネシアのレジデンススペースの門が、すごく大きくて2メートルぐらいある、ジグザグ型の鉄の門でした。私が住んでいたところのインドネシアの人たちも、外で暮らしている人たちも、いつもリラックスしていて、みんな仲が良さそうだったんです。でも、門だけが違和感があって、鉄の重い門で、それをいちいち開けたり引いたりして、出たり入ったりしてる。こんな大きい門で、外と内を区切ってて、でも門を開けた時の解放感もあるし、「門」って不思議だなあと思ったんです。それと、インドネシアにいる私と、日本にいる家族や友達との距離があって、私たちの間に、人がたくさんいて、山や海がいっぱいあることを想像したい、とも考えるようになりました。それで「門」をモチーフにした作品をつくりました。ちょうど150号の、2メートルぐらいのキャンバスをいただく機会があったので、それを使って門をつくることができる!門と同じぐらいの大きさだ!と4枚セットにして、「門」を描きました。
藤田
150号とか、高さ2メートルとか、大きいですね。
三津木
そうです。その150号が4点を展示した前期と、後期は門のレリーフが130点でした。あ、レリーフはいま、私の身体の周りにあります、これです。
オンラインインタビュー時の写メ画像、三津木が持っているのが門のレリーフ作品
「門はいろんな人が持つべきだ」と、この小さなレリーフは100セット(200点)つくり、そのうちの130点を、Gallery Soapの後期では展示しました。
藤田
作品が大きい前期と、作品が大量の後期、って面白い構成ですね。その展覧会について、真武さんが文章を書いてくださってから、Operation Tableで展覧会をする、とつながるのですね。
三津木
はい。真武さんが言うには、Operation Tableでは一年か二年に1回、「存在するとは何か」とか、「存在しないとは何か」という内容で展覧会をしていて、今回は、私と水谷一さんの二人が、このテーマにはきっと合う、と。
藤田
三津木さんは、水谷さんを知ってたんですか?
三津木
実は同姓同名の知り合いがいるんです。まさかあいつ?と思ったんですけど、違いました(笑)。本当に知らない、水谷一さんでした。
藤田
ええっ!そんな知らない相手との二人展のタイトルは、どうやって決まったのですか?
三津木
Operation Tableの展示とは別で、真武さんが、芥川龍之介の「蜜柑」という小説を元にして描いてください、というコンペを見つけて、「二人で、コンペに出してみたら?」と言って来たんです。このことから、同じテーマで、二人で作品をつくって、展示することにしたのです。
藤田
ああ、それが展覧会タイトル「林檎と蜜柑の数え方」の、「蜜柑」だったんですか!
三津木
はい、その「蜜柑」です(笑)。
藤田
展示の内容は、どうやって決めていったのですか?
三津木
2022年の12月終わりぐらいに、真武さんが「そろそろ始めましょうか」とおっしゃって来て。水谷さんと真武さんと私のやりとりは、全部メッセンジャーでした。オンラインミーティングや、直接しゃべったり、してないんですよ。
藤田
実際水谷さんに初めて会ったのは、展覧会のときですか?
三津木
2023年1月11日の土曜日に会いました。水谷さんはそれまで、Operation Tableにいらしたことがなかったんです。私も水谷さんに初めて会って、一緒にご飯を食べに行ったり、山口に行ったり、私のアトリエにも来てくださったんです。ちょうど展覧会タイトルを決めようとしていたときで、真武さんは最初、展覧会タイトルを、「0123」という名前にしたかったみたいです。私たちが山口県の萩に行ったとき、駐車スペースに「0123」のトラックがたくさん停まってて、こういうものではない、と私たちは思ったのです。
藤田
ああ、それもアートでしょう(笑)?
三津木
いや、どうなのかな、と私たちは懐疑的に思いました。すると水谷さんは「この展覧会は存在するのか?」みたいなタイトルを提案してきたんです。私は「え!」と思った。真武さんも、「もしかしてこの展覧会、やめる?」みたいに感じたようでした。こんな風に、展覧会タイトル「林檎と蜜柑の数え方」を決めるときでさえも、実はいろいろあったんです。そしてそのとき初めて、私たち三人は、Operation Tableで、何の作品を、どういう風に展示するか、という話をしました。私には壁が必要で、水谷さんは壁はいらない、手術台がいい、とか。水谷さんのレシピ本みたいな本の展示場所も、清潔感があって何もない空間にしようという感覚も、すんなり、みんなと共有できていきました。
藤田
その後、三津木さんと水谷さんが会ったのは、Operation Tableでの展覧会をするとき、ですね。
三津木
展覧会が始まる一週間前に、水谷さんはOperation Tableにいらっしゃいました。そのときに、掃除から始めるということだったので、私もその掃除に参加して、展覧会に向けて整えていきました。私はこれまで、何人かの他の作家さんと二人展をしたことがありましたが、水谷さんは、理想、望む完成度が高い人だというのは、見ていて分かりました。
藤田
展覧会に対して、ですか?
三津木
展覧会に対しても、作品に対しても、です。だから私も一緒に、同じようにしていかないと、この展覧会は成立しない、そういう恐怖を感じました。絶対一緒に高めていきたいと思ったし、私の作品も、そういう緊張感のある空間に置いたら、落ち着くだろうと思いました。だから同じ意識を持って、一緒にやっていこう、と思ったのです。
藤田
展示の並び順、空間のつくり方も、二人で決めたんですか?
三津木
二人で決めました。水谷さんが早く来てくださって、面と向かって話をしたら、すごい進んで、私は良かったです。
藤田
キュレーターである、真武さんは?
三津木
真武さんはほとんど、「二人でどうぞ」みたいな感じで、テーブルや家具の並べ方をなさってました。でもキュレーターのイメージが、すごく反映されている展覧会だと思います。キュレーションが、作品の展開につながっていくことも、私には初めてだったんです。この展覧会でキュレーションやキュレーターの存在に気付いたし、いままでやりたいこと、してきたことは、自分自身の課題の解決、だった、と気付きました。
藤田
キュレーションは、学校の課題みたいに「テーマはこれです」というものではないですからね。三津木さんの作品も、このOperation Tableのために制作なさったんでしょう?
三津木
そうです。しかも私は普段、展覧会の一か月前には展示する作品がすべて出来上がってるんです。でもこのとき、唯一、最後の最後にできてない作品があったんです。
藤田
あら、そんなことがあるんですか?
三津木
Operation Tableに入ってすぐのところにあった、小さい作品5点、それが展覧会が始まる3日前かな、一週間前かな、直前までできてなかったんです。私は本当に焦って、一緒に掃除するのを欠席させてもらって、最後の仕上げをしていたほどです。私たちが会話をしていく中で生まれた作品は、どうしても欲しい、Operation Tableで展示したい、と思っていたこともあり、展覧会オープン直前まで制作しました。
Operation Table入口の展示風景
藤田
実は私、展示を見て、テーブルの下に隠されてた作品とか、「なぜそういうことをするのか?」とよく分かりませんでした。
三津木
作品があるのに、ない、という状態を、体験型として水谷さんは表現したかったんだと、私は思います。
藤田
Operation Tableの展覧会で、三津木さんが結局得たこと、って何ですか?
三津木
真武さんがきっかけで、三人で展覧会をつくるということが、私にとっては初体験でした。このOperation Tableの展覧会テーマが、「存在」や「ある/なし」という、どうにでも紐づけられるものだったし、水谷一さんという、初めて会う相手と、一緒に空間をつくらなくてはいけなくて、メッセンジャーでのやりとりだけで、想像力を働かせながら作品制作をしていく、すべてが私にとって初めての経験でした。そして、私も「ある/なし」を考えることが好きなので、それを考え続けるきっかけになりました。私は、水谷さんの作品テーマと似ていると感じています。私が水谷さんの仲間だと言ったら、水谷さんに「違う」と言われるかもしれないけど(笑)、私には制作を続けていく上での、仲間意識が生まれました。それは、この展覧会準備を続ける上で、大きな収穫でした。私の作品はどうだったか、自分ではよく分かりませんが、こういう人たちと出会えたことは、良かったです。
藤田
Operation Tableの展示が終わって、この一年間の変化はありましたか?
三津木
次は「門から見える風景を描こう」と、思っています。それと、いま1万個のキューブをつくって、つぶしています。
藤田
つぶす?!
三津木
2024年のいま、戦争が起きたり、地震があったり、建物が崩れていっています。どこかでそういうことが起こっているという想像をしながら、つくったキューブをつぶしてるんです。
藤田
興味深い作品ですね。今後、展覧会の予定はあるのでしょうか?
三津木
どちらもまだ発表できる段階ではなく、たんたんと制作を進めているところです。もう少し、静かにしておきます。
藤田
ありがとうございました。これからも楽しみにしてます!
(真武 註)
はじめに展覧会タイトルを「0123」としたのは、「存在と不在について考える」という趣旨に沿って、存在を「イチ」、不在を「ゼロ」で示したかったところ、水谷さんの名前に「一(はじめ)」が入っていて、三津木さんの名前に「三」があったので言葉遊びも兼ねて「ゼロ・イチ・ニ・サン」にしようかな、と提案したのです。「0123」という表記ではなく、「零一二三」か「ゼロ・イチ・ニ・サン」か、ちょっと迷っていましたが。でもお二人にはピンと来てなくて、とくに水谷さんは名前から連想されたタイトルには難色を示していました。ちょうどそのとき三津木さんのインタビュー発言にもあったように「0123」の引越車両を大量に目撃して、これはいかんな、とマタケも気がついたのでした。もともと「ゼロとイチ」について考えることは、その頃興味をもっていた数学者の遠山啓の著書に出てくるものでした。それで遠山啓著「文化としての数学」の読書会を3人で始めることにしました。読書会といっても3人それぞれが別々に読み進めて、考えたことなんかをメッセンジャーで交わすものでしたが。その本の中に「林檎と蜜柑の集合体をあわせていきながらその量の差から数の概念が導き出された」という意味のことが書かれてあって、そのとき「林檎と蜜柑の数え方」という展覧会タイトルを思いついたのでした。